カンポ広場の無料音声ガイドには何が含まれていますか?
「街じゅうの人のために計画された広場」「足元の貝殻」「市庁舎、塔、そして泉」を取り上げ、見学に役立つ背景と注目したい細部を紹介します。
市民の誇りを映す、シエナの貝殻形の舞台

かんたん回答:はい。Mappuのカンポ広場の音声ガイド(シエナ、イタリア)はブラウザで無料で使えます。5セクション、約7分の音声で、8言語に対応しています。内容は「街じゅうの人のために計画された広場」、「足元の貝殻」です。Mappuアプリでは、Walk Modeが移動に合わせて周りの場所を語り、追加の質問にも答えます。
トスカーナの街シエナの歴史地区の中心となる公共空間、カンポ広場へようこそ。地元の人たちは、ただ「カンポ」と呼びます。ヨーロッパで最も偉大な中世の広場のひとつとされ、周りの歴史地区は、中世の都市計画と建築の調和を見事に残していることから、1995年にユネスコの世界遺産に登録されました。少し、周りの様子を確かめてみましょう。カンポ広場は長方形ではありません。浅いお椀のように、市庁舎であるプッブリコ宮殿に向かってゆるやかに下っています。宮殿の横には、細い塔がそびえています。広場全体が、重力に引かれるようにその建物のほうへ傾いているように見えます。これは偶然ではありません。ここは、あるメッセージを伝えるために設計された場所なのです。これから数分間で、広場がどう計画されたのかを見て、舗装に刻まれた物語を読み解き、それから市庁舎と塔、そしてその向かいの泉に目を向けます。よければ、れんがの上に座ってください。シエナの人々も、まさにそうしています。
カンポ広場は、シエナに出入りする3本の主要な道が交わる地点にあります。そのため、ここは自然と中立の場になりました。政治や市民の祝日を、誰もが一緒に祝える場所です。広場は、住民全員が競技や催し、公共の暮らしのために集まれる場所として構想されました。広場を整える工事は、早くも1169年に始まりました。周りに見えるものは、注意深く管理されてきたのです。1297年、公共の建物が建つ前に、市政府は広場とそれに面する建物の姿について指針を定めました。条例には、街の美しさと人々の満足がうたわれています。ここに住んでいた貴族の一族、サンセドーニ家、ピッコローミニ家、サラチーニ家などは、屋根の線をそろえた邸宅を建てました。それは、共同体の争いの象徴と見なされた、高くそびえる塔の家に対する、意図的な節度の表明でした。そうした塔は、シエナから遠くないサン・ジミニャーノで今も見ることができます。広場は変わり続けました。バロック時代には、もとの塔の多くが取り壊され、市庁舎に面する一部の家では、尖頭アーチの窓が、長方形の開口部を持つバルコニーに替えられました。そして19世紀には、中世の精神で街を改修したいという願いから、さらに手が加えられました。目の前のカンポ広場は、何世紀にもわたる対話が重なってできているのです。
下を見てください。広場の周囲は333mです。舗装は、赤いれんがを杉綾模様に敷き詰めたもので、10本の白いトラバーチンの線で区切られています。これらの線がプッブリコ宮殿に向かって扇のように広がる9つの区画をつくり、カンポ広場を有名な貝殻の形にしています。9つの区画は、伝統的に九人政府の9人の統治者と結びつけられてきました。九人政府は長い間、イタリアで最も安定した平和な政府のひとつと考えられていました。広く知られた言い伝えでは、区画は聖母マリアのマントのひだを表しているといいます。聖母マリアは街の守護聖人であるだけでなく、シエナの最高の統治者とも考えられていました。別の解釈もあります。広場の調和のとれた形は、モントーネ渓谷の風景を表しているというのです。ここで、心地よい細部をひとつ。すべての通りが市庁舎へと視線を導くように造られた、と記した文書はありません。それでも、広場の11の入口の多くから入ると、視線はほとんど自然に、市庁舎かその塔へ向かうのです。
プッブリコ宮殿は、民間ゴシック建築の完璧な例とされています。1282年から計画され、1297年から1310年にかけて九人政府のために建てられました。今も市政の拠点であり、市立美術館も入っています。中にあるアンブロージョ・ロレンツェッティの『善政と悪政の寓意』は、よい統治の大切さを市民に教えるために描かれました。15世紀半ばにサーノ・ディ・ピエトロが描いた、カンポ広場で説教する聖ベルナルディーノの絵には、当時の宮殿の姿が描かれています。1680年、建築家カルロ・フォンターナが、もとの様式を守りながら、両翼の最上階と左側の鐘楼の破風を加えました。その横にそびえるのが、マンジャの塔です。名前は、最初の鐘つき番だったジョヴァンニ・ディ・バルドゥッチョに由来します。彼は「もうけを食べる者」という意味の、マンジャグァダーニというあだ名で呼ばれていました。塔のふもとには、大理石の広場礼拝堂があります。1348年に街を襲った黒死病が終わったことを聖母マリアに感謝して、1352年に建てられました。では、振り返って広場の反対側を向いてください。そこにあるのがガイアの泉です。1346年に造られ、長い間シエナの誇りであり喜びでした。今目にしている大理石の彫刻は、1409年にヤコポ・デッラ・クエルチャに注文された原作を、ティート・サロッキが複製したものです。原作は、サンタ・マリア・デッラ・スカーラ救護院の博物館で見ることができます。泉には、ボッティーニと呼ばれる地下トンネルから水が送られています。その網の目は、全長約25kmに及びます。
カンポ広場は、今もシエナの最も大きな出来事の舞台です。パリオ、カーニバルの祝祭、そして夏の空の下で街が開くたくさんの野外イベントの会場になります。毎年行われる自転車ロードレース、ストラーデ・ビアンケのゴール地点でもあります。とはいえ、ふだんの日の魅力は、もっと静かなものです。時間によって、人々は暖かい日差しの中や、宮殿と塔のひんやりした影の中に座り、何世紀にもわたって街の人々の集い方を形づくってきた広場を、ただ眺めています。帰る前に、もうひとつ試してみてください。いろいろな入口から入ってみて、視線がどう動くかに注目しましょう。杉綾模様のれんがと白いトラバーチンの線を探し、それから塔の向かいにある泉の、もとの物語を見つけてみてください。カンポ広場のどの片隅にも、まだ少し語ることが残っています。
6件の情報源をもとにAI生成。自動チェック済み、2026年10月29日に最終更新。 チケットと開館時間は公式サイトでご確認ください。 Mappuによる独立したガイドです。当該名所・施設およびその管理者とは提携しておらず、承認も受けていません。
ここはセルフガイド散歩コース「シエナ旧市街、サリンベーニ広場から大聖堂へ」の4か所中3番目のスポットです。約1.4 km、徒歩約20分で、ほかに約28分の音声があります。
目安のルートです。 歩くときは、周囲に注意して、交通に気をつけ、現地の標識やルールに従ってください。地図は補助であり、安全を保証するものではありません。 利用規約
Walk Mode(無料のMappuアプリ内):2時間で50クレジット(¥820(税込)のスターターパック)
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「街じゅうの人のために計画された広場」「足元の貝殻」「市庁舎、塔、そして泉」を取り上げ、見学に役立つ背景と注目したい細部を紹介します。
カンポ広場は、シエナに出入りする3本の主要な道が交わる地点にあります。そのため、ここは自然と中立の場になりました。政治や市民の祝日を、誰もが一緒に祝える場所です。広場は、住民全員が競技や催し、公共の暮らしのために集まれる場所として構想されました。広場を整える工事は、早くも1169年に始まりました。周りに見えるものは、注意深く管理されてきたのです。
たとえば「屋根の線やファサードについてのシエナの決まりは、広場の姿をどう形づくったのですか?」のような質問を続けられます。ガイドはそのまま地図や旅行プランとつながります。